1月31日(日)礼拝説教要約

 Ⅱサムエル12:1~15  サムエル記㊷  「主の前に罪ある者です」

 ダビデは姦淫の罪を隠そうとして殺人の罪まで犯した。誰にも知られず上手くいったかに見えたが、神は見過ごされなかった。神は隠れた所も見ておられる。預言者ナタンをダビデの所に遣わされた。

1.ナタンのたとえ話(1~6節)

  ・富んでいる人が旅人をもてなすのに貧しい人の一匹の子羊を取り上げて調理した

  ・「ダビデはその男に対して怒りを燃やし…」(5節)

    正義感を表す:罪が分からなくなっているのでもなく、正しい判断ができる

    人のことはよく見えるが、自分のことが見えない

2.ダビデへの主のことば(7~12節)

  ・「あなたがその男です」(7節)

     神がダビデを王とし、多くのものを与え、これからも与えるのに

     ウリヤを剣で殺して、彼の妻を奪った

    過去の神の恵みを思い起こし、現在した事の罪深さに向かい合う

  ・「わたしの目に悪であることを行った」(9節)

    「主のことばをさげすみ」:神の律法と命令を破り、神の約束を軽視した

    「わたしの目に」:人の目ではなく神の目の前にどうかを考えよ

  ・神の審判(10~12節):自分のしたことは自分に帰る

    ウリヤを殺すために剣を用いたので、ダビデの家から剣が離れない

    密かに他人の妻を奪ったので、ダビデの妻たちは公に奪われる

3.ダビデの悔い改めと赦し(13~15節)

  ・「私は主の前に罪ある者です」:即座に罪を認め、告白した

    隠そうとしたり、言い訳をしようとはしなかった

  ・「しかし…息子は必ず死ぬ」:赦されても、蒔いた種は刈り取る(ガラテヤ6:7)

    神の聖と公正さが示されねばならない→モーセも約束の地に入れず(民20:12)

    神から与えられた王の立場と権力を悪用した

  ・罪赦された喜び(詩篇32:1~5、詩篇51)

    平然としていても心責められ苦しんでいたが、赦されて喜びと平安が訪れた

    あわれみのゆえに、神はダビデを悔い改めに導かれた

(結論)大きな罪を犯したダビデだったが、罪を示された時、素直に認め、悔い改め、その罪は赦された。神に示されたことに潔く応じる者でありたい。それが快復の道。また、主の前に正しく歩む者でありたい。個人も教会も主の目を意識して歩む時、守られる。

1月24日(日)礼拝説教要約

Ⅱサムエル11:16~27  サムエル記㊶  「主のみこころを損なった」

 立派な姿を見せていたダビデであったが、大きな罪を犯した。どんなに恵まれた信仰者であっても罪を犯すことがある。絶えず罪に警戒しなければならない。

1.誘惑に負けて姦淫を犯す

  ・気の緩み、怠惰に陥っている時に誘惑が来た

    「王たちが出陣する時期…しかし、ダビデは…とどまっていた」(1節)

      全軍がアンモン人と戦っている時、昼寝から起きて屋上を歩いていた

      先頭に立って戦うか、せめて戦況を聞いて指示する態勢であるべき

      「主は、ダビデの行く先々で彼に勝利を与えられた」(8:6,19)はず

  ・目から誘惑が飛び込む

   「欲に引かれ、誘われ…欲がはらんで罪を生み」ヤコブ1:14,15

     ダビデは欲望のままに、ウリヤの妻と知りつつバテ・シェバを召し入れた

     罪に至る前に誘惑を退けるべき。誘惑となるものから目をそらすべき

    姦淫の罪は、彼女が身ごもったことで、発覚の危機が訪れる

2.罪の発覚を恐れて隠そうとする

  ・身ごもった子をウリヤの子ということにしてごまかそうとする

    ウリヤは戦時下に安逸を貪らないと答える:改宗者で神の民に忠誠を尽くす

    ダビデは褒めるどころか迷惑に感じる⇒良心が曇る。自分の姿を反省もしない

  ・「自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者は憐れみを受ける」

箴28:13

    ここで悔い改めていたら、これ以上罪は大きくならなかった

3.更に大きな罪に発展する:殺人

  ・身ごもった子を正当な子ということにする

    ウリヤを戦死させ、バテ・シェバを正式な妻とし、子を産んだ

     自分の手ではなくても、正しい人を殺した

  ・罪は周囲にも悪い影響をもたらす

    無駄な作戦で他にも戦死者を出す:戦争を私欲のために利用し損害をもたらす

  ・人の目をごまかせても「主のみこころを損なった」(27節)

    いつも神を意識していたダビデが人の目をごまかすことに躍起になる

     罪は人を変えてしまう

(結論)ダビデでも罪に陥り、別人のような行動を取った。私たちも罪に警戒したい。もし罪を犯したとしたら、隠したりごまかしたりしても消すことはできない。かえって罪に罪を重ねて大きくなる。勇気をもって神に憐れみを求めて悔い改めよう。神は豊かに赦してくださる。

1月17日(日)礼拝説教要約

 Ⅱサムエル10:1~12 サムエル記㊵ 「主が、御目にかなうことをされる」

 ダビデはヨナタンの息子に真実を尽くし、その息子はへりくだってその恵みを受けた。ダビデは次に、アンモン人の王に真実を尽くそうとしたが、受け入れられなかった。

1.ハヌンによる侮辱と敵対

  ・ダビデの好意:「真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしたように」(2節)

    ハヌンの父ナハシュはサウル王の敵だが、ダビデの逃亡中ダビデを助けた

    ダビデはナハシュの動機が何であろうと受けた恩を忘れない→弔問した

    父のゆえに子に真実を尽くす:相手が誰であろうと変わらない態度

  ・ハヌンの猜疑心:偵察目的だとの首長たちの言葉を真に受けた

    憶測だけで確かめもしないで決めつけた

  ・ダビデの家来たちへの侮辱:善に対して悪で報いる

    自分の力を誇示しようとする高慢な態度

  ・ダビデに憎まれたと見て、自分から敵対し、戦いを挑んだ→アラム人の援軍を雇う

  ・ハヌンは、友好的だったダビデに対し、自ら敵対関係を作ってしまった

    憶測で人を悪く思うことは人間関係を壊す:人の悪意を判断するのは慎重に

    神に対しても、神の愛を疑って恵みを受けそこなうことのないようにしたい

2.イスラエルの勝利

  ・神の栄光のための戦い:「我々の民のため、我々の神の町々のため」(13節)

    二手に分かれて、どちらかが負けそうになったら互いに助け合う

     それぞれの役割分担をし、全力を尽くし、助け合う

  ・信仰による戦い:「主が、御目にかなうことをされるのだ」(12節)

    勇気の源:「強くあれ。…奮い立とう。」

    主が全てをご存知:誤解され、敵対されていても、潔白をご存知      

    主は御目にかなう者に勝利を与えられる:神が味方である

     どのような方法かはわからないが、御心のままになさり、勝利を与えられる

  ・神による勝利

    アンモン人は兵の数に頼ったが、イスラエルは神に頼った

(結論)私たちも神の愛、人の愛を疑わず、神の御目の前に真実を尽くそう。私たちの愛を誤解されたり、裏切られたりしても、神はご存知で、味方となってくださり、最善をしてくださる。神を信じて勇気をもって前進しよう。

1月10日(日)礼拝説教要約

  Ⅱサムエル9:1~13   サムエル記㊴  「ヨナタンのゆえに」

 8章では、「主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられ」(6,14節)7章で与えられたダビデの家、王国に対する神の約束の成就が始まっている。9章はダビデがヨナタンとの契約を果たす場面である。

1.ダビデの寛容と誠実:「その人に恵みを施そう」(3節)→神から恵みを受けたように

  ・「ヨナタン(との契約)のゆえに」→Ⅰサムエル20:14,15

    王としての権力が強固になった時も、若い時の約束を忘れずに果たす

    神がダビデに約束を果たしてくださったように、ダビデも約束を果たす

  ・「ヨナタン(との愛)のゆえに」メフィボシェテを受け入れた

    どんな人物かではなく、ヨナタンの愛した子だから

    メフィボシェテは、身に余る扱いと光栄に感謝した

     「いったいこのしもべは何なのでしょうか」(8節)

     ダビデも神に「私は何者でしょうか」(7:18)→神から受けた恵みを彼に返す

2.メフィボシェテの受けた恵み=私たちとキリストとの関係

  ・ダビデに見出され、王の席に招かれた:「生き残っている人はいないか」(1節)

    失われた一匹を探して見出すキリスト

  ・「死んだ犬のような私を顧みてくださるとは」(8節)

     ダビデと敵対関係にあったサウルの家の者

     本来ならば新王朝に滅ぼされるべき者。神から滅びると言われていた家の者

     「生まれながら御怒りを受けるべき子ら…愛のゆえに、背きの中で死んでいた

      私たちをキリストとともに生かして…恵みによるのです…」エペソ2:3~6

    「恐れることはない。私はあなたの父ヨナタンのゆえにあなたに恵みを」(7)

  ・「王の息子たちの一人のように、王の食卓で食事をすることになった」(11節)

    「…わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし…」黙示録3:20

  ・「ヨナタンのゆえに」(1,7節)=キリストのゆえに      

    敵対していた家の者で、足が不自由で役に立てなくても

    キリストのゆえであるから、私たちが変わったとしても、神の愛は変わらない

  ・メフィボシェテの応答:「ひれ伏して礼をした…あなた様のしもべです」(6節)

    へりくだって服従し、信じ感謝してその恵みを受け入れた

(結論)私たちも神の愛に感謝し、へりくだって恵みを受け入れ、神に従いたい。そして、神から恵みを受けたように、周りの人に恵みを施し、真実を尽くす者でありたい。

1月3日(日)礼拝説教要約

 ローマ15:1~7  「互いに受け入れ合いなさい」

 昨年は世界が新型コロナに翻弄された一年だったが、神の御計画の中の出来事。昨年の上に新たな一年を築いていくべき。全てを理解してはいないが、教えられたことを忘れずに心に留めたい。昨年、教会は互いに受け入れ合うことを学んだ。それを更に深めていく一年としたい。ローマ15:7を今年の聖句として握る。

1.「神の栄光のために」

  ・神を喜ばせることだから:神への愛のゆえに

    考え方の違う人を見下したり裁いたりしてはならない

    「神がその人を受け入れて下さったのです。他人(神)のしもべを裁くあなたは

     何者ですか」(14:3,4)

  ・皆が「神をほめたたえますように」(6節):御名が崇められるように

    皆「主のために尊んで…主のために食べて…神に感謝している」(14:6)

     同じ行動ではなく、神への同じ思い、心を一つに神を賛美する(5,6節)

    鍵は「聖書が与える忍耐と励ましによって」忍耐と励ましの神が導く(4節)

2.「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように」

  ・キリストが私を受け入れてくださっている:キリストへの感謝

   「自分自身をさばかない人は幸いです」(14:22):自分も他人もさばかない

    なぜ受け入れられているかを正しく捉える:「私は何者でしょうか」

     行いが正しいからでも、優れているからでもなく、ただ愛のゆえに

     聖誕、十字架、復活、主のご生涯に、人を如何に受け入れてくださったかが

  ・「受け入れてくださったように」:キリストの模範

    「自分を喜ばせるべきではありません。」(1節)

     「キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。」(3節)

       自己犠牲

     「力のない人たちの弱さを担うべき」力があるとしたら、それは神からのもの

       自分のためではなく弱い人を助けるために用いるべき

       力あるお方であるキリストも私たちの弱さを担ってくださった

    「隣人を喜ばせるべきです。」:隣人愛→我儘や一時的な喜びではない真の喜び

     「霊的な成長のため、益となることを図って」(2節)→育てられるのは神

     「平和に役立つこと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう」

(14:19)

     「妨げになるもの、躓きになるものを置くことをしないと決心しなさい」

(14:13)

     「食べ物のことで…兄弟が心を痛めているなら…愛によって歩んでいません」

(14:15)

(結論)神様を愛し、キリストの愛に感謝して、キリストに倣って隣人を喜ばせ、互いに受け入れ合いたい。できるかどうかではなく、心がけること。そうすれば心を一つに神をほめたたえる結果になるだろう。