12月27日(日)礼拝説教要約

Ⅱサムエル7:18~29  サムエル記㊳ 「私は何者でしょうか」

 ダビデの神の家を建てる計画を神は止められ、逆に神がダビデの家を建てると語られた。ダビデはそれを受け入れた。2020年は計画通りに行かなかったが、神の御計画は思わぬ方向に進んでいるように思う。ダビデに倣い、へりくだって神の御計画に従いたい。

1.神に感謝した(18~21節)

  ・「あなたが私をここまで導いてくださった」(18節)

     忍耐を強いられ、失敗もあったが、命が守られ、約束通り王になった

  ・「はるか先のことまで告げてくださいました」(19節)

     私のために、はるか先まで考え、計画しておられることを教えてくださった

     個人のみならず、全人類への計画、御思いを明かしてくださった

  ・「あなたはこのしもべをよくご存知です」(20節)

     過去も現在も将来も、性格も弱さも全て知っていて導いてくださる安心

2.神を賛美した(22~24節)

  ・「あなたは大いなる方です」(22節):他とは比べられない偉大なお方

     神の大きさに目を向ける時、目の前のことは小さなこと

  ・「あなたは彼らの神となられました」(23節):エジプトから贖い神の民とされた

     常に救いのみわざと恵みを思い起こし、賛美する

3.神に祈った(25~29節)

  ・「お語りになったとおりに行ってください」(25節)

     御心がなるように 「おことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)

     「御心に賛同します」との表明の祈り=‟アーメン“

  ・「御名がとこしえまでも大いなるものとなり」(26節)

     御名があがめられますように:「万軍の主はイスラエルを治める神」と

      ダビデに力を与え、導いておられる神が素晴らしいと周囲が認めるように

  ・「しもべの家を祝福して」(29節)

     最後に個人的願いを祈った→祝福を確信して

  ・「祈る勇気を得たのです」(27節)

     信仰の根拠:「あなたのおことばは、まことです」(28節)

     神への感謝と賛美をささげると、祈りに確信を与える

(結論)神の前に何者でもない者に、神はこれまで多くの恵みを注がれ、導き守られた。これから先も永遠までも、私たちのことを考えて導き続けてくださる。神に感謝し、賛美して、神を信じて従って行こう。

12月20日(日)クリスマス礼拝説教要約

 マタイ2:1~12   「礼拝するために来ました」

 救い主の誕生の知らせは東方の博士たちに。羊飼いたちとは対照的に、異邦人で知識人、遠方にいた社会的に高い立場にいた人たちだった。彼らは礼拝するために来た。

1.救い主に対する礼拝だった:「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(2節)

  ・礼拝の対象として会いに来た:単なる王ではなく、救い主、神として礼拝

    救いを得たいと切望した:自分にも必要なお方→犠牲をいとわない

    「どこにおられますか」と求め続ける霊的渇きと熱心さ

  ・救い主に向けての礼拝だった:明確な礼拝対象

    自分の想像と違っても神のなさることに合わせる:「どこにおられますか」

    他の人(ヘロデ、祭司長、人々)がどうするかは関係なく、神と自分との関係

  ・私たちの礼拝は救い主に神に向けられているか:儀式、プログラムではなく

    今はどこででも礼拝できるが、礼拝場所にいながら神不在となっていないか

2.神の導きに従った礼拝だった

  ・神の招きに応じた:星(彼らにわかる方法)の出現を神の招きと感じた

    救い主の誕生を知らされたということは会うようにと招かれている

  ・神の御言葉に導かれた:御言葉によって救い主について明らかにされた

    御言葉は救い主、神のもとに導く:説教は礼拝の目的ではなく導き

    知っただけでなく行動することが求められる

  ・星がピンポイントで導いた

    最初からの神の導きに「この上もなく喜んだ」(10節)

    私たちにとっては聖霊:メッセージを実生活にピンポイントで導かれる

3.献身を表した礼拝だった

  ・信仰の表明:この方が神の子救い主である→「ひれ伏して礼拝した」(11節)

    見えるところではなく、導きを信じて信仰によって、へりくだって

  ・献身の表明:贈り物をささげた

    真心を込めた最高の贈り物→自分自身をささげる代わり

    救い主にふさわしいものとなった:黄金(王)、乳香(祭司)、没薬(死)

    実際に役立てられた:エジプトでの生活のため

  ・満足して帰った:求めるものを見出し心に得て満足した→心に変化

    神から直接導きを得て別の道を帰る:神との関係が確立し新しい生き方が開始

(結論)私たちの毎回の礼拝が、救い主に出会い、献身を表し、示されたことに従い行動するものでありたい。

12月13日(日)礼拝説教要約

 ルカ2:8~20  アドベント③ 「あなたがたのために」

神にとっても人にとっても最大の出来事である救い主の誕生の知らせを最初に受けたのは、世の喧騒と無関係な、社会からのけ者にされていた羊飼いたちだった。

1.羊飼いたちは御使いのお告げを受けた(8~14節):不思議な選び

  ・明確な知らせ:いつ(今日)どこで(ダビデの町で)誰が(救い主が)

  ・大きな喜びと神の栄光の知らせ:主の栄光・おびただしい数の天の軍勢の賛美

    無学な羊飼いにその知らせの素晴らしさを目と耳に→頭ではなく体験的理解

2.羊飼いたちはみどりごを捜し当てた(15~16節):知っただけでなく体験する

  ・「主が私たちに知らせてくださった」ので「見届けて来よう」

    「あなたがたのため」と言われたから・御使いの言葉を信じて確認するため

  ・「急いで行って」:先延ばしせず、羊の群れを置いたまま→最優先事項との認識

  ・「捜し当てた」:「求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には…」

                              マタイ7:8

    「飼葉桶に寝ておられるみどりご」が「あなたがたのためのしるし」

      他にはいないので間違えない・羊飼いたちには会いやすい場所と姿

    幾つかの馬小屋を覗いただろうが、ついに見つけた

    主は、求める者が誰でも見出せるように、その人に合わせて下さる

3.羊飼いたちは告げられたことを知らせた(17~19節):最初の証し人

  ・自分が体験したことを他の人にも知らせた「この民全体に与えられる」(10節)

    大胆に証しさせたのは喜びと感謝の思い

     除け者にされている者に真っ先に知らせてくださるため、除け者になられた

    自分だけでなく全ての人のため→日頃自分を蔑む相手であっても

  ・信じるかどうかは聞き手の責任:驚いただけの人もいた

  ・しかし「心に納め」た人もいた:マリア

    その結果、ルカに伝えられ福音書となり、全時代の全ての人に伝えられた

    羊飼いたちが知らせたのは少人数でも、長い年月で拡大して行き私たちにも

4.羊飼いたちは神を崇め、賛美しながら帰って行った(20節)

  ・「見聞きしたことが全て御使いの話の通り」一つのしるしが全てが真実だと証明

    今日ダビデの町で飼葉桶のみどりご→救い主、神に栄光人に平和、大きな喜び

  ・喜びと平和に満たされた人生が始まった

(結論)私のための救い主となり、その恵みの素晴らしさを体験しているか?それならばその喜びと感謝を人に伝え、神に賛美しよう。私たちの証はすぐに受け入れられなくても、誰かの心に納められて、民全体へと拡がっていくだろう。

12月6日(日)礼拝説教要約

ルカ2:1~7  アドベント② 「宿屋には彼らのいる場所がなかった」

 救い主は天から降りて人となり、地に住まわれ、誠実に歩まれた。それは胎内におられる時から始まっていいた。

1.時代の流れの中に住まわれた 

  ・歴史の中に生まれられた:「キリニウスがシリアの総督であった時の…」(2節)

  ・世界が混乱の中に生まれられた:「全世界の住民登録をせよという勅令」(1節)

    世の中が、権力者に翻弄され抵抗できない大きな波に呑まれた→今はコロナ等

  ・世の中の流れに従って行った:「ヨセフも…ダビデの町へ上って行った」(4節)

    神に従っているのに、なぜこんな時に、こんな事が、とは言わず

    神の歴史の支配に信頼し、超自然的な保護にも頼らず、危険な旅を続けた

  ・神の摂理の中を進んだ:ナザレからベツレヘムに移動し、預言が成就した

              マリアを近所の人の批判的な目から解放された

2.宿屋にはいる場所がなかった

  ・救い主を迎え入れる部屋がなかった:先に他の人々で埋まって満室だった

    人々は混乱の中、自分のことで精一杯で、心にも余裕がなかった

  ・救い主が生まれることと、その恵みの素晴らしさを知らなかった

    神の最大の御計画、預言の成就、神の子、自分を罪から救う方

    本当にわかっていたら、最高の部屋を、先客を追い出してでも用意しただろう

  ・私たちの心、生活から、イエスを締め出していないか?

    大変な時、考えるべき対処すべき多くの事を抱えている時であっても、

    本当に大切な事、恵みがわかっていれば、神を最優先にしているはず

3.飼葉桶に寝かされた

  ・家畜小屋が救い主を迎え入れた

    救い主の謙遜:王である方(1:32)が家畜小屋に。神の子が人間以下の扱いを

    救い主の寛容:受け入れられる所には無条件で入ってくださる

     どういう人で、何をしたか、何ができるか、どんな過去があったかは気にせず

     礼拝や密室や祈りに十分な時や場所がとれずとも、できる時と場所でも祝福

  ・飼葉桶が救い主のベッドになった:餌箱が、神の子、王の王、主の主のベッドに

    救い主を迎える時、そこをふさわしく整え、そこにあるものを用いられる

(結論)私たちの心、人生、生活、計画、考えに主をお迎えしよう。何かをする前に少しでも主を仰ぐなら、共にいて、祝福して下さる。主と共にこの地に住み、誠実に歩もう。