9月27日(日)礼拝説教要約

 Ⅱサムエル1:1~19  サムエル㉛ 「ああ、勇士たちは倒れた」

 第一サムエルは、サムエル誕生から始まってイスラエルの初代王サウルの死で終わった。今日からダビデ王の治世が記されている第二サムエルに入る。戦場から遠く離れたダビデのもとにイスラエルの敗北とサウル王とヨナタンの死の報告がもたらされる。

1.アマレク人の若者の報告(1~16節)

  ・サウル王に頼まれて自分がサウル王を殺したと報告した

    ダビデがサウルの死を喜ぶと思い、褒美をもらおうと噓をついた

  ・ダビデはその若者を処刑した

    理由は「『主に油注がれた方を殺した』と証言したのだから」(16節)

     神の民:ダビデはサウルを殺すことを2度退け、部下が殺すのも止めた

         サウル王の道具持ちも王の頼みでも殺すことを恐れた

     「アマレク人で、寄留者の子」(13節)も同じことが求められる

       神は寄留者を受け入れ、神の民と同じように生きることを求められる

       滅ぼされるべきアマレク人でも神の民として生きるなら受け入れられる

        以前のずるい性質が表れた→滅ぼされるべき

       私たちも滅ぶべき罪人だったが、憐れみにより神の民、神の子とされた

        以前の生き方に戻るなら、滅ぶべき罪人に戻ることを警戒したい

     嘘でも証言したので→「殺すのを恐れなかった」(14)行為よりも心を見て

     若者の証言を喜び受け入れるならば、ダビデも同罪となる

2.ダビデの哀歌(19~27節)

  ・君主の死は国の屈辱:「イスラエルよ…」(19~22節)から始まる  

    自分のことよりも国のことを想う:命を狙う者が死に、王となる時が来ても

  ・サウル王を賞賛:「愛される、立派な人」(23節)強い勇士、先頭に立って戦う

           国を栄えさせた(24節)初代王として国を築き上げた

    欠点ではなく、すぐれた点に注目して尊敬する:その欠点が致命的であっても

  ・ヨナタンの死を悲しむ:尊敬すべき勇士だった「二人は離れることなく」(23)

               王子として油注がれた方に、子として父親に従った

              女性への愛よりも素晴らしい友情だった

    主にあって一つとなった信仰と思いは立場を越えた深い愛となった

(結論)若者は褒められたいとの自己中心な思いから偽りの証言をして自ら滅びを招いた。ダビデは自己中心から解放されて、自分のことよりも神を恐れ、罪に対して毅然とし、人を愛して赦す寛容な姿勢を貫いた。自分を捨ててダビデのようにありたい。

9月20日(日)礼拝説教要約

レビ記19:32、テトス2:1~5 「老人を敬い」

 明日は敬老の日、今日は謝恩日聖日。老人を敬うことは聖書にも命じられている。

1.「老人の前では起立し」

  ・敬意を表す:尊敬を態度で示す

  ・謙遜になる:「謙って互いに人を自分より優れた者と思いなさい」ピリピ2:3

    その人の優れた点を認め合う→優劣ではなく、優れた点は誇りではなく感謝

    若者:知力、体力、適応力、柔軟性、発想の斬新さなど

    老人:人生経験からの知恵や知識、時代の目撃者など

       長年、地上生涯の試練を乗り越えて来たことは尊敬に値する

        現在の姿では解らない過去の苦労や功績がある

      「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされ」Ⅱコリント4:16

        外面的なものが削がれて、内面の尊さと希望が明らかにされていく

  ・感謝する:先人たちの尽力があって今の自分がある→教会も教団も社会も

2.「神を恐れなければならない」

  ・神の命令である:「聖なる者でなければならない…わたしが聖だから」(19:2)  

    「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(19:18)

      神を信じ神の子とされた者は、神を愛し人を愛すべき→その中に老人も

  ・神が喜ばれることである:神が愛して来られた人である(たとえ悪人でも)

               神が尊いと思われる人→神の評価は内なる人にある

  ・神の恵みによって可能である:神は命令や約束の後「わたしは主である」と宣言

3.尊敬される老人になる(テトス2:1~5)

  ・男性への勧め:自制→感情的にならない

          品位を保つ→軽率な行動や言動を慎む

          慎み深く→わがままになったり、厚かましくなったりしない

          信仰と愛と忍耐において健全→偏り、固執、頑固にならない

  ・女性への勧め:神に仕える者のふさわしさ→敬虔さ、気品、慎み

          人を中傷せず→悪口や人を裁くなどのことばを慎む

          大酒の虜にならず→寂しさや不満から何かに依存することを警戒

          良いことを教える者であるように→言葉と存在が良い模範になる

(結論)老人を敬うことには、その人の価値観が表れる。外面ではなく内面を評価される神の目と、全ての人を愛される神の愛を与えられ、謙遜になって他者を尊敬し感謝したい。そして、内なる人を刷新されつつ、誰からも尊敬される老人になっていきたい。

9月13日(日)礼拝説教要約

 Ⅰサムエル31:1~13  サムエル記㉚ 「不信の罪のゆえに」

 イスラエルとペリシテの戦いで、神の宣言通り、サウル王と3人の息子は戦死し、イスラエルは敗北した。サウルの悲惨な最期をもって第一サムエル記は終わる。この記事は第一歴代誌10章にもあり、最後に「不信の罪のゆえに」と解説が加えられている。

1.サウル王の死の理由(Ⅰ歴代10:13,14)

  ・「主の信頼を裏切った」神の代行者として、初代王にサウルが選ばれた

    主の霊が下り、新しい人に変えられ、ヤベシュ・ギルアデの人々を救った

    最初は良かったが、神よりも人の評判を重視し、神に従おうとしなくなった

    次代王に神が選ばれたダビデを妬み、悪霊に取りつかれ、殺意を燃やした

  ・「主のことばを守らず」

    七日間を待ちきれず、自ら全焼のいけにえをささげた:小さい事に不忠実

    アマレクを聖絶せずに、良いものを残した:大きい事に不忠実

     モーセと民に約束された神の歴史的約束の実現という大きな責務

    主のことばに聞かず、悔い改めず、主との関係回復も拒む→主も離れられた

  ・「主に尋ねることをしなかった」:最後は「霊媒に伺いを立てることまでして」

2.サウル王の最期(Ⅰサムエル31:1~7)

  ・主に呼び求めることはなかった  

    「射手たちのゆえにひどい傷を負った」→神を呼び求める最後のチャンス

      十字架の強盗のように、死の間際でも主を呼べば天国に入れて頂ける

      ヨナ書の二ネベの町のように、神がさばきを思い直されることもある

    しかし、道具持ちに自分を殺すように頼んだ→道具持ちにはできなかった

  ・自らの命も主に委ねられなかった→命は御手の中にあるのに自分で命を絶った

    主に委ねれば最善をされる:死なねばならぬとしても最善を祈る余地がある

    主の愛、主の力、主の支配を信じられなかった

3.サウル王の死後(8~13節)

  ・死体がさらしものにされた:生きたままの恥辱は免れたが死後の恥辱を受けた

  ・ヤベシュ・ギルアデの勇士たちが亡き骸を取り戻し葬った→恥辱は短期間で

    ヤベシュの人々は11章で助けられた恩を忘れていなかった

    神もまた、サウルの良かったところを覚えておられ、報いられた

     神は最後までサウルを愛しておられた

(結論)「死に至るまで忠実でありなさい。」(黙示録2:10)最初が良くても、最後まで従い続けなければ不幸である。限りない神の愛に信頼しつつ忠実に歩もう。

9月6日(日)礼拝説教要約

 Ⅰサムエル30:21~26  サムエル記㉙ 「主が私たちに下さった物」

 ペリシテ人の地で噓とごまかしの生き方をしていたダビデは、アマレク人の襲撃によって、主に立ち返り、元のダビデに戻った。勇敢で愛と寛容に溢れた姿を見る。

1.略奪隊への追撃(9~15節)

  ・主によって奮い立ち、進撃のためにすぐに出て行った

    「泣く力もなくなった」(4節)が、主の約束に励まされ力づけられた

    三日かけて帰還し疲弊していたが、追撃を続けた:200人はベソル川に残る

    神との関係回復により、神から力を得た

  ・エジプト人の若者を助けた:アマレクの奴隷で病気のため置き去りにされた

    急いでいる中、素性のわからない人でも助ける:‟よいサマリア人‟ルカ10:30

    元気を回復し、略奪隊の所まで道案内→愛の行為が益となって返ってくる

2.略奪隊への勝利(16~20節)

  ・アマレク人は油断してお祭り騒ぎをしていた(16節)  

  ・「ダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを討った」(17節)

  ・「ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した」(18節)

    「奪われたものは、何一つ失われなかった」(19節)

  ・そのほかにも多くの戦勝品を奪った(20節)

    「愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」ローマ8:37

3.戦勝品の分配(21~31節)

  ・ベソル川に残った者たちに近づき安否を尋ねた(21節)

    不参戦を責めることなく、参戦できない者たちの辛さを思いやる

  ・一部の者たちは彼らに「分けてやるわけにはいかない」と言った(22節)

  ・ダビデは「ともに同じく分け合わなければならない」(24節)と言った

    「主が私たちに下さった物…主が私たちを守り…私たちの手に渡された」(23)

      自分たちの力によるのではなく、神によって与えられた物

      分配は神に権利がある:神はすべての人に平等に与えられる

       「気前がいい」→‟ぶどう園の労働者のたとえ‟マタイ20:1~16 

         「主の御名を呼び求める者はみな救われる」ローマ10:13

      「何回赦すべきでしょうか」→‟負債を赦された家来‟マタイ18:23~35

    「その日以来…イスラエルの掟とし、定めとした」(25節) 

  ・「友人であるユダの長老たちに」(26節):お世話になった人々とも分かち合う

結論)神の御心を尋ね、聞き従う者に、神は力を与え、神の心を心とする者にされる